寶性寺は室町時代末期武蔵国多摩郡船橋村(現在地)に草創されました。文禄元年(1592)徳川家康公の旗本山本与次左衛門政法(山本勘助従兄弟の二代目)が、多摩、荏原、都築三郡の内百五十石の菜地を与えられ船橋村に陣屋をかまえ、同時に、当寺を祈願寺として堂宇を建立し代々舟橋村の領主として、当寺を外護してきました。しかし、六代政矩が甲府城内で刃傷におよび、享保十五年(1730)すべての領地を没収されてしまい、外護を失った当寺は、荒廃の一途を辿りました。昭和三十三年、先代御住職龍憲師が甲府の地より晋山し、当時40歳半ばにあった龍憲師のたゆまぬ復興への努力に、檀信徒家の信施を得て、現在の古刹というにふさわしい山容を整えるに至りました。
年中行事の中には、1月4日の大護摩修行、10月第3土曜日のお寺で音楽会、12月31日の大晦日・除夜の鐘なども催されております。
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